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【寛政の三奇人って御存じですか?】

担当

タナカ コウタロウ

自宅で環境整備をしていたら、大学受験の日本史の問題集に掲載されていて、思わずブログに投稿しました。 
 
 
江戸後期の寛政(1789~1801)のころ、
海防の緊要性を説き『海国兵談』を著した林子平(しへい)、
勤王を提唱し諸国を遊説した高山彦九郎(ひこくろう)、
歴代天皇陵の荒廃を嘆き『山陵志(さんりょうし)』を編纂(へんさん)した蒲生君平(がもうくんぺい)
の3人は、ともに奇行の多いことで有名であった。
 
もちろん単に奇行のみならず、時弊を先取りして嘆じ、また幕末に中心的な課題となる国防や尊王を、早く寛政のころに論じた3人の共通性が、この呼称の背景にあった、と記されていました。
 
とかく、人と違うことを言ったり、行動すると異端の目で見られますが、法治国家のルールの下、「異端」であることは変革や改善には必要であると思います。
 
その法律も人によって解釈が異なったりしますが、そこは道徳心を常に磨いていかないと中庸の精神が磨かれていかないと思います。
 
その両輪を意識しながら「異端」であることを模索して考動していきたいと思います。

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